涼しい夜風が吹いていた。
帝の寝室の広いテラスからは遠く城下の街並みを一望できる。
「葵、テラスにでたのかい? 寒くない?」
帝の声が寝室から呼んでいる。
「ぁああ! まぁた・・・危なっかしいことを…。
俺が後ろから押したら3階下まで落ちるぞ?」
姿が見えなくて探しに出てくれば彼女はそのテラスの手摺りに腰掛けて
足をぷらぷらさせていた。
誰を真似てそういうことをするかね…あぁ、俺か、と呟く帝を
振り返る葵はいつもどおりの柔らかな微笑。
「ね、にぃさま。 怒らないのね、寮を勝手に抜けてきたのにv」
葵の自分の肩口にかかった髪に頬を寄せている仕草が眠たそうで、帝は笑ってしまった。
「さぁね、俺はお前を叱るべきなのか?」
「にぃさま保護者でしょ?」
葵が頭を起こす。 手摺りの上に腰掛けているので丁度帝と同じ高さ。
薄い肌着一枚寒そうな華奢な身体を帝は腕に閉じ込める。
やれやれ、とため息ひとつついて帝は尋ねた。
「どうしたんだ。 そんな拗ねた声して。」
精霊院の寮は、授業のない週末に帰宅することを奨励しているが今日はまだ水曜日。
毎週帰っているのだし戌貴や神壱も同じ寮にいるのに、
「寂しいから」なんて理由で寮を抜け出したりはしない筈だ。
「ねぇ、にぃさま。 …あのね、わたしは…戌貴も神壱もクラスのみなも…大好きなの。」
暖かな腕を受け入れながら、ためらいがちに言葉をつむぐ葵。
「誰かが苦しい気持ちでいるなら、助けになれないかしらと、思うの。」
「うん それで…?」
「でも、「あなたがそこに存在しているのが嫌だ」…って言われると、
どうしてあげましょうかと思うのよね…。」
「・・・どーして そんなに嫌がられたんだよ。」
傷付いた話をしているのに、やっぱり微笑む葵はさらりと応える。
「、、、戌貴が好きだったのよ。多分。」
つまりこうだ、葵の身辺警護も兼ねて同じ科に在籍させている
戌貴に惚れた少女が、彼と常に行動を共にする葵に嫉妬した、と。
「とても頭のいい子なの。精霊を使う能力も高いわ。優しくて綺麗な…いい子なの…」
「それってもしかして・・・ 」
もしかしなくても、美しく才あるその少女はそもそも葵に嫉妬していた。
「わたしがいなければクラスで一番なのに、って思っちゃうのよね きっと。」
「はあー・・・でもお前に敵う人間はそもそも存在しないだろう?」
まぬけた声で返事をする帝、似たような話は戌貴と神壱あたりから
よく報告されているから実はよく知っていた。彼らの話では葵はうまく
対処しているようだったから口をだすこともないかと思っていたが、
慰めてやるべきなのだろうか。
そう思って口を開きかけた帝の腕の中でしかし、葵はさらっと意外なことを言った。
「そうなのよ。そもそもどんなに容姿や何かを誇ったところでね、
”普通のひと”が己と神子姫である私を比べようということがそもそも無理な話なのよ。
「なんだ葵、そういうこと言えるんじゃないか」
どっちかというと、いつも他人の痛みを繊細に感じ取って共に苦しむ葵らしからぬ
台詞だとは思ったが取り合えず間違っていない、と帝は思う。
「まぁだよ。にぃさまにわざわざ寮を抜け出してまで訊きたかったのはここからなのに…」
「あ、わるかったわるかった、なんだって?」
拗ねて見せる葵、笑う帝…
「でもね、やっぱりそこで彼女のような人を苦しませちゃいけないとおもうの。」
「そうおもうか?」
「だってね…にぃさま、貴方は人の上に立つ人間でしょう?」
「ん、そうだ、お前もだろう」
「ぇっと…たとえば家臣の心が揺らぐのは、王のせいじゃない?究極を言ったらだけど。…
だからね、絶対者たる存在を疑わせることなく示すことは、その…
上に立つものの義務だと思うの。」
一瞬、静かに間が開いて、
「葵、お前…いつの間にそんなヤヤコシイことを言うようになった。」
「だってもう、13なのに。」
「はっ・・・子供だな。」
「ひどい。」
帝は腕の中の姫をからかう。
「葵、」
そして、もう一度抱きしめる。
「ぁ、 にぃさま・・・」
「葵、そんなことまだ思わなくていいんだ。
そんな…「王の孤独」に気づかなくていいから。」
そして、もう一度優しい静けさ。
「…ね、 にぃさまは孤独? 皇帝になるにぃさまは、寂しいの?」
「ぃいや、 お前がいるから、そんなことはない。」
ふふっ、と葵が笑う
「あのね、私もね、『でもにぃさまがいるからまぁいっかv』って思ったのv」
「私、大丈夫よ。自分で考えたこと、ちゃんとにぃさまと同じで良かった!」
お互いの息が近くて暖かくて、葵はとても幸せだった。
帝は帝で、涼しい夜風が頬を撫でるのが穏やかで、心地よかった。
「冷える。おいで。もう、休もう…」
「はぁいv」
少し大人になった葵の、ある夜の記憶。
—完—
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