僕はこのおんなのこを泣かせたらいけない。と、
でも、ああ なんてきれいな涙なんだろう…
それはすこし不謹慎な、僕の葵とのはじめのきおく。
+
あの日も僕は、逃げていた。幼いおぼろげな記憶。
抑えきれない妖気の暴走から逃げられるわけもないのに、
妖鬼だから、虐められた。
見下す大人達、それに見習って嘲る年の変わらない子供たち。
僕は、どうしようもなくこわかった。
殴ったり蹴ったりされる事が、じゃなく
ただ恐ろしかったのは…
自分自身。
あぁ。どうか僕を放っておいて。そう何かに叫んだ。
近所の人間の僕への可虐は、防衛の本能を強制的に呼び覚ました。
ただでさえ普通の人間よりずっと鋭敏な感覚には人々の暴力も、罵声も、うるさすぎた。
…そして僕は、野性に抗えなくなる。
「見ろ!やったぜっ! この野郎っ・・本性を表したぞ!!!」
「そのまま神殿に引き出せ!!!!!」
「捕まえろ!!!」
野犬か狼か…とにかく地を疾走する獣の魂が目を覚ますと大変だった。
危険なイキモノに成り下がった自分が荒れ狂う本能の意識下で泣いた。
・・・僕を見ないでよ・・・
なぜ放っておいてくれないのだろう。なぜいつも無理矢理この本能を起こそうとするのだろう。
僕を庇ってくれる人すら判らなくなって攻撃する、そんなの嫌なのに。
・・・。
だから、いつも、逃げた。誰も…だれも居ない森の中へ。だれも傷つける事のないところへ。
いつものように静かに暗い森は、僕が暴れても大丈夫…なはずだった。
でもその日、がむしゃらに駆け進んでみた木々のたもとには、おんなのこがいた。
木漏れ日にあって、そこだけ光に包まれたその場所に。
「・・・?」
誰も何も理解しない一瞬の間を置いて獣である僕はただ、「獲物」を襲った。
短い叫び。———そして、我に還る。
「どうしたの?」
優しい声が近くで聴こえた。
僕の頭は柔らかく抱きしめられていた。
「悲しいの…?」
それは僕と地面の間に理不尽に押し倒されたおんなのこの声だった。
「、、 ・・・っあ…」
「悲しいよね。…痛いよ…ね?」
走ってきた動悸より激しく、胸が波打つ。
「どうして、なんだろうね?」
僕の首にまわされたやわらかい腕がいっそうきつく僕を抱く。
そして、僕の髪を濡らす感触。。
いま、一体なにがおきてるの・・・・・・?
ただびっくりして、下敷きにしてしまったおんなのこに抱きしめられるままになっている僕。
そして…
「…ごめんね…? ごめんね。。。っ ・・・ご・・・め・っんね?」
後から後から流される涙とその言葉は鎮まりはじめた本能と共に眠ろうとする僕の意識のそこに染み込んでいった。
これは、、僕の涙?
僕のために…泣いてくれた涙?
+
「・・・・っ!!!!」
急に目が覚めて身を起こす。
見慣れない場所。 …神殿?
「・・・ っつっっっっっあ!!!!」
「きゃあああああああっ!」
なににびっくりしたんだか、幼い僕たちは目を合わせて思わず叫んだ。
さっき襲ってしまったあの、女の子だった。
「ああああああああ あのうっ …ゴメンナサイっっっっっ! うわっ!」
ばふっ!
どもりまくっている僕は再びふわふわの寝台に押し戻される。
「はぁよかった!!」
事態を把握出来ずにおろおろしていると、部屋に人が入ってくる気配がして
「どうしましたか?! っってええ?! 1度ならず2度までも葵ちゃんを…っ!?」
似たような事を叫ぶ声と共に、引き剥がされていく女の子。
あおい・・・ちゃん?
「はいはい皆うるさいうるさい! 目がさめましたか、いぬき君?」
見上げれば光のような長い金髪に縁取られた綺麗な顔が僕を見下ろし、微笑んでいる。
「ぁ。・・・あっ はいっっっっ!!」
なにか、怒られるんだと思っていた僕はとにかく盛大に返事をする。
「君ね。下町で噂になってた半妖の子だね?」
「は・・ぁ そう…だと思います。」
「みんながいじめたのっっっっっ!」
同じくらい盛大に叫ぶ声は、さっきの女の子。
「そうみたいですね。妖力の制御を学んでいないのでしょう。いずれ調査させようと思っていたのですが。」別の男の声…。
「しかし・・葵を襲おうとはいい度胸したガキめ。」また別の男の声…。
「いぬきちゃんはわるくないのよおぉぉぉっっっっっ!!!」
女の子の叫びではた、と気づきもう一度謝る。「ごっ・・ごめんなさいっ!僕あの・・」
やっと、落ち着いて辺りを見回しその女の子に目を奪われ言葉を全部わすれる。
一生懸命に僕を庇ってくれたその子はまた泣いていて、
でも笑っていて「目が覚めて良かったね。」そう言った。
+
その後どうやって葵様一行が帰ったとか、カミュ様に話を聞かれた(事情聴取?)とか、
家に帰っただとか、そういうの、今はほとんどもう記憶にない。
この「事件」によってその後妖鬼の本能を制御する訓練を受けられるようにあの中の誰かが計らってくれて、カミュ様づてに葵様がまた(?)遊びたがっているから皇居に来い(!)というびっくりな命令を受けて、いつだか葵様の身辺警護を命ぜられて、何年も経って今に至る。
誰も、森でおこった事に言及する人はいなくて、葵様も何も言わなくて、もう僕だけが覚えているのかもしれない。
だけど、あの時。
獣と化した危険な僕を抱きしめて、鎮めてくれたのは葵。
恐ろしくてどうしていいか判らずに苦しんでいた僕と一緒になって泣いて、悲しんでくれたのは葵。
自分でさえ気付いていなかった心のなかの傷を、そっと抱いて涙で濡らして癒してくれたのは…葵だった。
あまりにふわりとした優しさが、全てを包んでいた。
その涙。
こんなに優しいこのおんなのこをなかせたらイケナイ、そう思った。
でも、その涙…
ああ なんて透明できれいなんだろう。。 と、思った。
これは僕の葵との、
一番はじめの記憶。
—完—
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